2016年8月28日日曜日

MBA受験の全記録と1年間の流れ

さてさて。前回、TOEIC 365点から800点くらいまでレベルアップする話を書きましたね。

これは序章。ドラクエで言えばダーマの神殿についたけどLv 20以下だから何の職業にも付けんわ、という状況。(古すぎて伝わらないか、これ)

ということで、本当の辛くて苦しいMBA受験の軌跡をちゃんと残しておきましょう。

まずは全体像から...

*TOEFLやGMATの個別対策はそれぞれのカテゴリーに分けて書きます。


(全体スケジュール)


(詳細)
2008年頃
・仕事にも慣れてきた頃に、海外関連ビジネスへの興味や当社及び日本自体の国際化傾向に気づき、このままじゃいかん、と思い、とりあえず英語の勉強開始。


2009年2月
・365点だったTOEICも700点を超えてきたので、社内で社費海外留学生選抜へ応募。当たり前だが英語力が足りん、と言われ落選。

・今になって思えば、この英語力で受かっていたら不幸なことになっていたに違いない。ナイスブロック。気を取り直して、英語の勉強再開。


2010年2月
・TOEIC830点で2回目の海外留学生選抜への応募、応募直後のTOEICで870点を獲得したが、考慮されたかどうかは不明。

・応募後、面接に呼ばれた辺りから「本当に受かるのでは?」と思い始め、逆に凄まじいプレッシャーを感じながらTOEFLの参考書を購入。パラパラ勉強しながら分からなさを嘆く。「落ちたら落ちたで、もう一年準備できるからOK」くらいの気持ちに。


2010年3月
・海外留学生選抜に合格。非常に理解のある会社で、仕事はほぼ外してもらい勉強に専念できる環境を頂く。勉強時間は確保できたものの言い訳の出来ない状態に。

・抱えていた案件が多かったので、引継ぎで2週間程度は忙殺。上司、同僚の皆様や投資先の従業員の皆様へ御礼/懺悔の旅実施。

・元々弱いが、原則禁酒を決意。結局Visit中を除けば翌年2月までで4、5回しか酒を口にしなかった。

・激動の中、元々決めていたことではあるが入籍。


2010年4月
・異動直後の4月初旬に沖縄で挙式。留学準備が気になりつつも、いったん記憶の彼方へと追いやって数日遊ぶ。

・初TOEFL受験。RDは大半理解できず、LSは何も分からず途中で聞く気すら喪失。結果、65点。半分以上はSPとWRで稼ぐというある意味日本人離れした点数。一応1ヶ月程度はTOEFLの勉強をした上での受験だったので、自分のいる場所と目的地の距離感に驚く。ハワイまで泳げ、と言われたような気分。

・過去の留学生レポートや出国直前の前年度留学生等に色々とヒアリングし、実効性や費用対効果を勘案した上でカウンセラーや予備校に目星を付ける。

・MBAカウンセラー数人と面談し、Bryan Shihへの依頼を早々に決定。詳細は、彼のサービスであるElite Essaysのホームページを参照。(Testimonialに彼のサービスの良さは一生懸命書きました。)いきなり9,000ドル支払い、4月中旬から10月頃まで、ずっと週2回1時間ずつのSkypeミーティングとEssay作成を開始。

・予備校としては、DonaldのE4TG(TOEFL Speaking)、Jack (TOEFL Writing / GMAT AWA)、YES (文法及びGMAT SC)、English Village 八重洲校(TOEFL Speaking / Interview対策) の受講開始。振り返ってみれば、全てベストチョイスだったと思われる。

・RD / LSについては、地道に単語を覚え、英文を読み、Pod Castと市販のListening問題を聞きまくり、基礎力強化。


2010年5月
・5月上旬に新居に引越し&結婚式二次会開催。準備や疲労で計1週間程度は勉強停止。

・早くもTOEFLの良い会場を押さえる方法(詳細は別途TOEFL iBTカテゴリにて記載予定)に気づき、漫画を大人買いするような感覚で、年内全てのTOEFLを受験することを決意。

・TOEFL2回目、3回目。80点前後。YES文法コースと単語力強化のお陰で、RDは全体感が分かるようになり、LSについては詳細が分からないもののトピック全体の流れは分かるようになった。

・勉強の主軸は依然TOEFLだが、YESの文法コースに通いつつ、少しずつGMATも意識。(というかGMATの問題文が読めるレベルに到達していなかった)


2010年6月
・やっと私生活も落ち着き、勉強&Essayを全力で開始。この頃から10月までが一番勉強した。間違いなく人生で一番だろう。

・生活リズムとしては、RD, LS, WR を会社で2時間ずつ勉強し、家で1時間程度シャドウイングやSPの題材を呟き、夜にEssay作成かBryanとSkypeミーティング、という流れを毎日繰り返す。

・段々TOEFLの受験自体に慣れてきたこともあり、4回目、5回目のTOEFLで90点前後に到達。RDとWRがある程度高い点数で安定し始めてくれたことが本当に嬉しく、特にWRは最後まで稼ぎ頭として君臨。彼の活躍は凄かった。9月頃までは2日に一回以上JackとEssayをやり取りしたことやBryanと4月からずっとEssayを書き続けていたお陰だろう。ありがとうJack & Bryan。

・この頃から徐々にHBSやDartmouth Tuckといった学校の説明会が始まり、出来る限り参加。最初は英語で説明されても…、というかこのレベルの学校行けるか分からないし…という気持ちだったが、人脈や参加経験がInterviewで役立つことや、出願書類上で参加有無の記載を求められるケースも多く、Visitと同じく参加しておいて本当に良かったと思う。

・YESの文法コースは終了し、GMAT SCコースへ移動。本格的にGMATのSCに関する勉強開始すると同時に、GMAT Mathセクションの聖書『マスアカ』で高校レベルの数学を一から学び始める。

・人生で初めてのボランティアに参加。子供に混じって、有機EMボール(要は水を浄化する”何か”)を川にフルパワーで投げ込む。意外と楽しかったが、終わった後に三田で「ラーメン二郎」を食し、歳を感じる。


2010年7月
・6回目、7回目のTOEFLで、90点台後半へ突入。LS以外は手応えが出てきて、いずれ100点に届くのだろう、と思えるようになったが、LSは突破口が見えず、かなりのストレスになる。結局9月頃までLSでもがき続けることに。

・この頃から、TOEFL RDの勉強も兼ねて、GMATの勉強を開始。GMAT RC, CRはTOEFL RDにも役立つと信じ、今までのTOEFL RDの勉強時間をそのままGMAT RC, CRへ振り分け。GMAT SCについては、依然YESに通いつつ勉強。

・いくつかの学校の説明会に参加しつつ、説明会系のイベントとしては最大のAGOSの夏祭りに参加。ここで出会った多くの方々に受験期間中サポート頂いたが、Berkeley HaasとMichigan Rossの学生/Alumniには特に多大なサポートを頂いた。特にMichigan Rossについては、Visit中も非常にお世話になり、仲良くなったAlumniが自分の面接官にもなったことから、本当に幸運だった。(だからと言って受かりやすかったのかどうかは不明だが。)


2010年8月
・8~10回目のTOEFL。全く進歩なし。敢えて言うなら、LS以外は安定感が出てきたことを確認できた程度。やはりLSが問題であり、詳細は後述するが、様々な試行錯誤を始める。

・17日、GMAT一回目。660点(Math 48、Verbal 34、AWA 4.0 (4.5))。Verbalの良さに驚きつつ、Mathが後1、2点取れていれば、という後悔に潰されそうになる。とりあえずリスコアに出したAWAは4.0から4.5へ。

・初GMATから数日経過し、実はTOEFLが100点超えれば1st RoundでTop10~15前後に出願可能、というアップサイドに気づく。LS勉強への決意を新たにする。

・尚、この時点で、4月から続けていたBryanとのEssay作成の甲斐もあり、5, 6校のEssayは概ね出来上がっており、あらゆる質問に対して主となるストーリーは出来上がっていた。

・米国Topスクールの説明会の大半が8月に集中し、出来る限り参加。徐々に英語での説明が聞けるようになってきたが、質問するほどの勇気も無い。


2010年9月
・11~14回目のTOEFLにて、ついに100点台に突入。RD、LS、WRが25点以上、SPが20~23点で安定したことで、ほぼ毎回100点は超えるようになり、GMAT660点と合わせて精神的に一気に楽になってきた。やっとMBAに行ける気がしてきた。

・特に、9月中にTOEFL105点を獲得できたことでMichigan Ross、Duke Fuqua、UCLA Andersonというギリギリ勝負でき且つ行きたい学校に出願できることになり、後々のMBA受験上本当に大きな意味があった。105点を確認した瞬間から大急ぎで1stラウンド提出のEssayを仕上げにかかり、徐々に勉強がおろそかに。

・17日、GMAT2回目。前回から全く進歩の無い660点(Math 49、Verbal 30、AWA 5.0)。Mathが少し改善し、Verbalは前回より低いものの悪くない点数。「今回もGMAT受験を終了させられなかった」という落ち込みはあったものの、「結構Verbal得意なんじゃないか」と調子に乗る。


2010年10月
・15~17回目のTOEFL。105点から先の世界に進めず苦悩するが、WRは極めた感があり、10月中旬から基本的に28点以上、大半の回では満点を取れるようになる。Jackへの信仰心Max。但し、これで気が抜けて、正直他のセクションの勉強をほぼストップしてしまった点は大きな後悔。

・Michigan Ross、UCLA Anderson、Duke Fuquaへ1stラウンドにて出願。初めての出願作業であったことや、この手の書類は念入りにチェックしてしまう性格から、かなりの時間を費やす。正直、勉強時間は半減。

・19日、GMAT3回目。出願作業でほとんど勉強出来ずに望んだものの、またもやこれまでと大差ない670点(Math 51、 Verbal 29、AWA 3.5)。Mathで満点が取れたことと、Verbalは勉強しなくてもこの程度の点が取れることが確認できたことから、Mathで50前後、Verbalで30+αは取ることがかなり現実的に見えてきた。また、段々RCが苦手なことに気づいてきたので、RC克服だけは次回までに達成しよう、と決心。

・気分転換と社会貢献ネタのためにボランティア活動(その2)に参加。高尾山に外人さん達と登り、案内しつつ「What is Tengu?」などの痺れる質問に対応。

・GMAT終了後、1stラウンドで出願した3校を中心に今後出願する予定の学校を含めてVisitを実施することを決定。意外と準備に手間取り、10日程は準備で潰れ、10月31日ハロウィンにLAへ乗り込み、2週間で7校(実際6校)をVisit。詳細はいずれ纏めて書こうと思います。飛行機に乗るたびに機内でGMATの勉強を少々実施。


2010年11月
・12日(金)帰国、13日(土)、14日(日)土日連続TOEFL、16日(火)Michigan Rossのインタビュー、19日(金)4回目のGMATという過酷な日程。結果、上記全てが良い方向へ。おそらく英語で物事を考える2週間の直後に英語を使ったので、良い結果に繋がったのだろう。

・18~22回目のTOEFLにて、106点を2回獲得。一回目の106点はBerkeley Haas出願に使用。2回目の106点はリスコアの結果、108点になるも、ETSのリスコア対応が遅すぎて無意味。

・16日、Michigan Rossインタビュー。初インタビューにしては良くできた内容。2時間半の長丁場を乗り越え、GMATの点数を上げて追加送付すれば受かるだろう、と思えた。

・19日、4回目のGMAT。既にある程度の点数を取れている余裕はあったものの、やはりここを逃すとチャンスが後1回になることもあり、若干緊張。結果、710点(Math 50、Verbal 36、AWA 4.0)。点数を見た瞬間、試験室内でガッツポーズ。本当に嬉しかった。体が震えた。Math、Verbal共にこれ以上を望むのは無謀であり、AWAはリスコア含め改善の余地があるものの、総合得点に比べて軽視できることから、GMAT終了を決断。「英語の学習」については、ここで事実上ストップ。

・12月2日が期限であったBerkeley HaasのEssayを急ピッチで完成させ出願。


2010年12月
・23~26回目のTOEFL。もう完全に飽きている。25回目にして108点獲得。しかも、LSが若干低いがバランスの良い点数となり、TOEFL卒業を決意。SPをもう少し練習すれば、LSを途中でサボらなければ、まだ1ヶ月続ければ110点いくのでは…といった思いもあったが、それより何より出願作業に追われてしまい、もういいや、という気になる。

・12月上旬にUCLA Andersonのインタビュー実施。落ちる理由は見当たらなかったが、逆に何を見られているのか不安になる。

・年末年始にかけてEssay作成・出願は一気にラストスパート。12月20日頃から1月10日頃までは、投資業務の全盛期と変わらないほど忙しく、あまり記憶が無い。


2011年1月
・過去最低の年末年始を過ごし、1月10日頃まで出願ラッシュが続く中、8日にDuke Fuquaのインタビュー実施。ここまでの3校の中では最高の出来。合格を確信。

・1月10日にHBS、Kelloggを出願し、2ndラウンド計8校の出願終了。15日締め切りのNYUを悩んでいたところ、11日夜にMichigan Rossから合格の電話あり。初合格且つ1stラウンド出願校の中では最も志望度が高かったため、嬉しくて寝付けなくなる。NYU Stern出願を取りやめ、計11校の出願で打ち止め。

・翌12日、立て続けにUCLA Anderson合格。連日の合格連絡だったので嬉しさは半減したものの、冷静になればやはり嬉しかった。

・1月中旬に2回目のVisitへ出発。事前にMichigan Ross及びUCLA Andersonに合格したことからColumbia、Wharton、Dartmouth Tuckだけを回る東海岸周遊の旅。各地でのんびり飲んで遊んだ1週間。

・帰国した1月下旬から、任されていた当社の新卒採用業務が全開に。忙しさに懐かしさを覚えつつ、体力の衰えを感じる。

・1月31日、Duke Fuqua合格。メールが来てWebで合格を確認する、という少し味気ない結末。


2011年2月
・Kellogg、UC Berkeley Haas、Dartmouth Tuckと現実的に第一志望である学校を立て続けに面接。日本語で採用活動しながら、自分が英語で面接されるという頭が痛い日々。KelloggとDartmouth Tuckは面接官がNative Speakerであったため手応えが測りづらかったが、UC Berkeley Haasは過去最高の出来。

・2月22日朝、カフェで上司と雑談していたところ、電話にてUC Berkeley Haasより合格の連絡あり。Listening力が想定より遥かに落ちていて何を言っているのか分からなかったが、「Congratulation!」だけは聞き取れた。心底嬉しかった。

・UCLA Anderson、Duke Fuquaの合格は辞退し、25日に面接を受けるはずだったChicago Boothの面接も辞退。


2011年3月
・2月に続き、月間残業120時間以上のペースをキープ。ついでに禁酒も解禁。最初は1杯で酔っ払っていた。当然すごいスピードで英語を忘れていく。もはやTOEFLで100点は絶対に取れない。

・3月11日(金)朝、面接の合間の時間にDartmouth Tuckから合格の連絡。会議室の廊下にて大声でおかしな英語をしゃべる羽目になり、少し恥ずかしかった。

・同日午後、東日本大地震発生。えらい目にあう。良くも悪くも採用スケジュール全般が後ろ倒しになり、若干余裕が出る。

・3月21日に上海にてHBSのインタビュー実施。違う意味でえらい目にあう。

・3月24日、メールにてKelloggから合格通知を貰う。嬉しさと悩ましさが同時に襲ってきたので、しばらく進学先検討期間を設けることを決意。

・3月29日、予想通りHBSから不合格通知を受け取る。元から行きたいような、行きたくないような、というテンションで臨んでいた学校であったため、あまり悔しさもなく納得感のある結果。取り急ぎ、UC Berkeley HaasのDeposit払い込み期限が3月31日であったためDepositを支払い、勢い余ってVisa以外のほとんどの進学手続きを一気に終える。

・3月31日、仕事終わりに同僚数人で飲んでいたところ、Stanfordから不合格通知を受領。Invitationも無く、予想通り。


2011年4月
・地震のせいでスケジュールが後ろ倒しになっていた採用活動に忙殺されつつ、同じく後ろ倒しになっていたMichigan Ross、Dartmouth Tuck、Kelloggの合格者パーティに参加。UC Berkeley Haasは地震による延期後、そのまま開催されなかったため、自主的に合格者で飲む。

・その他、在校生、卒業生、MBA卒の上司等に散々相談し、Dartmouth Tuck、Michigan Rossを4月中旬に辞退。


2011年5月
・GW中にKelloggへの進学を決意し、強烈に後ろ髪を引かれながらUC Berkeley Haasを辞退。

・長い時間悩みすぎたせいで納得感の醸成と同じくらいやらなければいけない手続きが溜まり、即座にサマースクールをKelloggのACEプログラム (The American Culture and English Program) に決定し、Visa、予防接種、住居関連等の準備開始。

・採用活動もやっと終息の気配が見え始める。


2011年6月
・出国準備継続(Visa取得、予防接種完了、銀行口座・保険・クレジットカード等申し込み、引越し関連等)。

・長男誕生。


2011年7月
・19日出国、25日よりKellogg ACEプログラムに参加。

0 件のコメント:

コメントを投稿